書籍紹介 近藤節夫著『八十冒険爺の言いたい放題』よりサハリン

サハリン残留朝鮮人の悲劇

1992年10月、著者はサハリンへ渡航した。
マスコミの報道よりも早く、現地残留朝鮮人と面識を持ち、生の声を記録していた。
各社、報道姿勢に差があり、日本国政府の非を鳴らす論調、スターリン体制下のソ連が決めたので日本に責任がないとの論調まで幅広くあり、当時学生時代の私も興味深く記事を読んだ憶えがある。
本書では、終戦前(日ソ停戦前?の)引き揚げ船には日本人の登場が優先されたとある。もっとも引き揚げ船も「国籍不明」の潜水艦による攻撃で多数撃沈され、多数の遺体が北海道に流れ着いたというから、何が幸いするのか分からないものである。
ドイツは第2次大戦末期に残存艦艇の全てを投入し、自国避難民をソ連軍の脅威から守るため、安全な西側へ移送し、約80万人を救った。当時でも世界第3位の海軍力を保持していた我が国の海軍は何をしていたのだろうかと疑問に思う。
朝鮮人の金さんは、終戦前日本人でないことを理由に当時の日本政府より日本への帰還が許されず、苦しい生活が続いたと言う。異国の地に取り残された人の声は悲痛に響く。失われた命、乾いてしまった涙に思いを致し、過去の人々を裁くのではなく、今後、こうしたことがないように、新たな事象に対して他人に優しくなれることを自他共に期待したい。
この章は、貴重な歴史の証言であり、本書の白眉である。ぜひとも読んで頂きたい。
蛇足ながら、昭和6年刊行『温泉案内』に樺太の温泉(鉱泉)も掲載されており、友人K氏の尊父の助力で私も手にすることができた。日本人の温泉好き、旅行好きは戦前からであることを史料を手にすることで実感できた。

 

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